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矢ケ崎 隆信
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〒214−0001
神奈川県川崎市多摩区菅
4−3−32 ベルヴィル2階
電話044−949−1182

川崎市 歯科 ヤガサキ歯科


 

院長紹介

−平成5年北海道大学歯学部卒業
−平成10年ヤガサキ歯科医院開院
所属学会・研究会

−日本口腔インプラント学会
−日本歯周病学会
−日本歯科医師会

−日本ヘルスケア歯科研究会
−フォーラム東京
−中野予防歯科研修会

 3月生まれで同級生の中でも小さかった私です。特に目立つことも好きではなく、平和を好み、おとなしく、恥ずかしがりやの子供だったと思います。

 そんな性格でしたが、記憶に残る場面といえば、小学校高学年で、地元の相撲大会で5人抜きをして、大きなかぼちゃをもらったことや、クラスで算数の問題で1番速く正解し、皆の前で表彰してもらい、担任の先生お手製のメダルをもらったことがありました。

 人前が苦手な自分が、表彰され、恥ずかしくも、そのうれしさを感じることにより、「頑張るっていいな!」と思い始めた場面でした。そんな場面を演出して下さった担任の先生には本当に感謝しております。

 父親のスポーツ好きに影響され、野球などに興味を持ち、観戦したり、チームに入るなどしていました。その後、大学まで、部活には入り続け、スポーツと離れることはありませんでした。いろいろなスポーツや、クラブを通じて、喜びや、感動や、仲間との絆を学ぶことができたと思います。

 また、小さいころからプラモデルを作るのが好きでした。お誕生日に友達から何個も貰った時には、うれしくて次々に作ったことを覚えています。今考えると小学生だし、綺麗ではなかったかもしれませんが、当時は自分ではかなり忠実に作ったことを覚えています。3歳下の弟の分までも、見ていられなくて、言いくるめて作っていました。そのころから、細かい手作業は自分に向いていると思っていました。

 中学は野球部でした。夏は炎天下の中、当時は今では考えられませんが、水を飲んだらバテるということで水分補給もあまりせず、汗だくで練習を行っていました。よく皆大丈夫だったな、なんて思います。チームにいると、野球のうまいへただけでなく、優しい人、嫌味なことをする人、それを助けてくれる人、などいろいろな性格の人がいて、クラスとはまた別に、いい社会勉強になったと思います。

 高校では、丸坊主が嫌で、友達に誘われて、バトミントン部に入りました。バトミントンなんてそんなに厳しくないんだろうと入ったのに、実は高校でも練習が1番位厳しく、強いクラブだったのです。練習は毎日、山道3キロ走から始まり、基礎トレーニングをみっちり行ってから、打ち始めという、最初は地獄のように感じた練習でした。最初のうちは「辞めようかな」って思う時もありましたが、苦しくても「自分が決めて、一度入ったところなんだからやり通そう!」と、3年間やり続けました。お陰で、チームは自分が主力の3年時、地区大会で優勝し、県大会に出場し、自分も個人では最高成績が、ダブルスで地区3位になれました。やり続けることの大切さを実感し、自分の自信にもなりましたし、一緒にやり遂げたチームメイトとはその喜びを分かち合えました。

 普通の家庭に育った私が歯科医師になりたいと思ったのは、中学生の頃です。近所の歯医者さんに通っていたのですが、独特の雰囲気の歯科医院は強烈なインパクトがありました。いすに座って、テーブルの横に火がついているあの光景は今も忘れられません。しかし、決していやではありませんでした。

 親と話すと、「歯医者さんは人のためになるし、とってもいいのよ」、と言われ、医療でも生死にかかわらなくて、手先の仕事で、人に感謝される仕事っていいな、と思っていました。

 そして、私が小学生の時に、父親がサラリーマンから独立して、指圧の仕事に就いた事にも大きく影響を受けたと思います。家に患者様がいらして、治療後に「楽になった」と喜んで帰っていかれるのを見て、自分も人に何かしてあげて感謝される仕事に就きたい、と思うようになりました。

 家には患者さんが多くいらしていただいて、とても有難かったのですが、何人もの患者さんにまじめに向き合って話をし、その上自分の体を使う父は、治療後に自分の体がかなり辛そうでした。患者様のため、そして家族のために一生懸命働いている姿に、子供ながらに、「仕事とは大変なことなんだな」と思っていました。そんな姿に、仕事は甘えが許されない、真剣勝負なんだと教えられた気がします。

 そんな環境で育ったので、帰られる患者さんに「お大事にどうぞ」と声をかけるのは日常的なことで、今にも通じています。

 歯科医師を目指し大学を受験した私でしたが、現役では見事不合格、人生の挫折を味わいました。しかし、1年間の浪人生活は、忘れられない、人生で意義のある1年となりました。親元を離れ、東京での初めての1人暮らし。4畳半一間の予備校生専門の食事つきの下宿生活でした。トイレ、洗面共同、お風呂は銭湯、今思うとすごい生活です。部屋には当然テレビもなく、ラジオ付ウォークマンひとつで、夜の食後の30分位のラジオだけが自分の楽しみになりました。それ以外の時間は、寝る以外、ほぼ勉強に費やしました。といっても、たまには同じ予備校仲間と夜散歩したり、ゲームセンター行ってみたりはありましたが。しかし、いつ終わるか何の保証もない浪人生活は、精神的につらいものがありました。人生で一番勉強し、苦しかった1年でした。

 神様のお陰か、無事、第一志望の北海道大学歯学部に合格できた時の喜びは生涯忘れられないでしょう。「人間努力すれば報われる」、と思いました。

 今でも何か大変なことがあっても、「あの1年間に比べたら今は幸せだ、だからもっと頑張ってここを乗り切ろう!」と思えます。結果的には、かけがえのない1年でした。

 そんな思いをして入学した札幌での大学生活は、非常に楽しい6年となりました(歯学部は6年制です)。寂しかった予備校時代とは一変し、今度は1人暮らしが楽しいものになりました。硬式テニス部に入った私は、友人とテニスをし、先輩に飲みに連れて行ってもらい、旅行やスキーで北海道の自然を満喫しました。

 基本的にテニスばかりやっていまして、団体戦は3年からレギュラーになり、試合に出場しましたが、団体戦のプレッシャーの中で勝利することは、自分だけの力ではなくチームの仲間の応援によるところも大きく、チームがひとつになる大切さや、仲間がもたらしてくれる力の大きさを実感しました。

 テニス部は、同じ歯学部の中でもきちんと練習をするので厳しい、と言われていて、先輩や後輩には辞めてしまう人達もいるクラブでしたが、同期皆で励ましあいながら6年間続けました。今でもテニス部の友人達は、何でも話せる親友ばかりです。

 肝心な勉強はと言うと、教科書的な基礎には最初あまり興味が引かれず、テストのための勉強でしたが、臨床的なことは面白くなって、学ぶ意欲も湧きました。臨床実習は大好きで、いつも結構早くできたと思います。

 札幌はとてもいい所で、自然も街も大好きです。第2の故郷となりました。

 卒業後は、保険中心の、とても器用で真面目な大学の先輩の所に勤務させていただいて、歯科医師の仕事に対する姿勢を学ばせていただきました。手抜きをせず、その日の気分や体調に左右されずに、基本的な治療をきちんとすること、というあたりまえだけど毎日やり通すのはなかなか大変なことを実践されている院長でした。院長先生は、朝から夜遅くまで働いていて、「こんなに成功しているのだからここまで働かなくてよさそうなのに。けれど仕事はやはり油断せず、やり続けることが大切なんだろうな」と身をもって教えていただいたような気がします。最初にとてもいい勉強をさせていただいたと、本当に感謝しております。

 その後、保険外の治療に重きをおく病院に移り、そこではレベルの高い、よりいいものを求める患者さんに対する治療について、学ばせていただきました。「保険でいい治療をしたい」と思っていた自分ですが、高いレベルの治療を見て、保険ではやはり限界があり、より良い物を作るには、時間と費用がどうしても必要なことを実感しました。自分自身が入れるのであれば、毎日使うものだし、できるだけやり替えをしないですむよう、清掃しやすい精度の良いものを入れたいと思い、保険だからこんなものでしょう、というあいまいな治療になることはプロとして逃げだなと思いました。

 スライドをとって、自分の治療を振り返るようになったのも、とても有難いことでした。

 また、今でも当院の技工をお願いしている技工士さんとめぐり逢い、一緒に仕事をし、実際行う技工の大変さも教えてもらい、技工士さんの苦労も、少しではありますがわかった気がします。人間性も、仕事に取り組む姿勢もすばらしい技工士さんです。

 この医院での経験が今の医院のスタイルになりました。勤務させていただき、自分にいろいろな経験をさせていただきました院長先生には、とても感謝しております。


歯科医師の仕事をしてみて、自分は患者さんのお話を聞くのも、お話しをするのも好きですし、細かい手作業も自分では好きなため、この仕事は天職だと思いました。

自分で医院を立ち上げ、頑張ってきましたが、自分1人ではどうしても限界があります。より多くの患者さんの健康の為には、自分と同じ考えの仲間を増やし、一緒に行っていくことが自分のこれからの仕事だと考えています。そのための環境を整え、患者様の為にも、パートナーであるスタッフの為にも、より良い病院を作っていきたいと思います。

 

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